横浜市認定歴史的建造物・旧清水製糸場本館

てんのうもりいずみやかた

天王森泉館


 この建物は、1911年(明治44)年5月に清水一三氏によって興された清水製糸場の本館として建設されました。その後、昭和6年頃に本館の左側半分が500m北から現在の敷地に移築され個人の住宅として利用されていました。平成9年に公園整備に際して、製糸場本館当時の姿を再現し、「天王森泉館」として名づけ拠点施設として活用しています。

 清水製糸場は、大正7年には釜数128を誇り、神奈川県下45社の中でも5番目の規模の製糸場でした。和泉川沿いには豊富な湧水を活かして20に上る製糸場が営まれ、中和田村(現在の泉区)には市内最古で規模も大きい持田製糸場をはじめ8社がありました。しかし、大正時代にピークを迎えた製糸産業は関東大震災(1923年)や大恐慌(1929年)で打撃を受け、ナイロンの開発も重なりその勢いは急速に衰えました。

 建物の一階の間取りは明治期の横浜近在の農家に見られた四ッ間取りの流れをくんでいますが、玄関を入った所にある帳場が商いの場として特徴的です。当時はこのような本二階建てが好まれ、二階には接客の場として使われた三ッ間続きの座敷があり、総掃き出しの開放的な作りです。晴れた日には富士山も望めます。

 豊富な湧水と、農業生産力を背景に成り立った旧清水製糸場の本館は、当時の振興産業資本家層の住宅の典型を示しています。

 右の写真は当時使用していた”糸繰り器”、”糸紡ぎ器”、”足踏み式座繰り器”です。”糸紡ぎ器”は当時の

資料を基に再現させたものです。

”足踏み式座繰り器"は中和田南小学校内、みなみコミュニティハウスにある郷土資料室から借り受けたもので8月末まで展示してありました。”足踏み式座繰り機

で繭から糸をとる様子が動画でご覧いただけます。

 




大正時代の清水製糸場の見取り図

「港・横浜・絹の街」シルク博物館資料より



横浜市認定歴史的建造物認定書

 

        平成10年1月14日


横浜まちづくり功労者賞

 

              平成10年11月20日



 

天王森館、前庭にある旧清水製糸場本館のプレートです。